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こんにちは私です。まさかのブログ2日連続更新。


さて、このブログの紹介文には「まとめるでもないSSを載せてみたり」とあります。
という訳で、「がんばれ超がんばれ雪歩」(略称「超雪歩」)をやってみたいと思います。
…まあせっかくブログも作ったし。一回ブログ連載なるものをやってみたかった、というのは隠しようのない本音です。
読みにくい! などありましたらご一報をお願いいたします。

という訳で、第1回は「0×1=0」であります。
雪歩は次回登場の予定。


拾ってください。

 雨はとっくのとうに止んでいたし、北風が強かったわけでも保健所が近いわけでもないが、
学校から765の事務所に向かっていたやよいがそのズタボロの段ボールに目を奪われたのは
中から何かの鳴き声を聞いたからだった。
 わんわんと形容するにはずいぶん貧弱な声だった気がする。
 お決まりの拾ってくださいの文言の下には
「貰い手がなく育てていけません、どなたか心やさしい方が拾ってくださることを願っています」
といやに流暢な文字で書かれていた。
 「どなたか心のやさしい方」などという都合のいい奴がいるなら見てみたい気もするが、
しかしやよいは本日の6限に道徳の授業で見せられた
「生命の神秘――産まれいずる命」なる神懸り的に安い教育ビデオを熱心に眺めていた。
 すべてのいきものはおとうさんとおかあさんのあいじょうをいっしんにうけてこのせかいにうまれてきたのです、
という実に垢抜けない教育用の文言をしかしやよいは生来の素直さをもって受け入れ、
生きているということは実に素晴らしい事なのだとそこらの宗教家が聞いたら泣いて喜びそうな感想をレポートに纏めている。
 勿論ここには強烈なペテンがある。
 生きているだけで素晴らしいのなら保健所の存在はあまりにも生命の神秘からはかけ離れた存在であるし、
何よりもこの道を通ったすべての人がそう思っているのならとっくにこの段ボールは「どなたか心のやさしい方」に拾われていて然るべきであり、
雨にぬれたか「どなたか心のやさしい方」が傘の先で突いたのか穴すら空いた段ボールにはこの世の縮図が透けて見えるような有様である。

 さて、やよいの家は赤貧である。
 定職に就かない親父と母親、やよいを除いて4人の兄弟姉妹が待つあの家には到底ペット(だと思う)を飼える余裕などない。
情けない鳴き声の後は全く何も言わなくなった段ボールを俯瞰に眺め、やよいは家の冷蔵庫の中身を思う。
 思えば馬鹿馬鹿しい話である。
心のやさしい、というのは要するに生活に余裕がある奴の戯言だと思う。
 衣食住足りて礼節を知るという身も蓋もない諺があるように、
世の中とは基本的に余裕のある奴が基準になって動いている。
この中に犬だか猫だかを入れてトンズラをかました奴のことは心底見下げ果てた奴だと思うが、
しかしそいつにもそれなりの事情があって中身を手放さざるを得なかったのだろう。
 そして、世の中を動き回る奴にもそれなりの事情というのは必ずある。
 この段ボールの中身に気付いて知らない顔をして通り過ぎた連中もそうだろうし、
アイドル活動をするにあたって家の財布の主たる供給源になったやよいにしてもそれは同じだ。
 ようやく餓えることなく家族7人で生活できるようになった今のやよいにとって、
新たな食い扶持の出現はそのまま生活の破綻を意味する。
財布の主たる供給源となったやよいは、齢13にして世の中の暗部を見てしまっているような気がした。

 では、世の中とは余裕が全てか。

 通学路の途中、真新しいセーラー服に身を包んだやよいはそこでふと思う。
 そうではないと思うが、そう信じられるほど世の中はやさしくはない。
 やよいは思う。
この中身を捨てた奴にしたって余裕があればおそらく道端にこんな段ボールを放置するなどという過ちは犯さなかったはずだし、
この段ボールを今も俯瞰で眺めるやよいにしたって余裕があれば迷うことなどないはずだ。
 根の素直なやよいである、もしこの段ボールの中身に何か施せる余裕があるのならばそうしていただろうし、
ということは今やよいが段ボールの中身に何の施しもできないのはすなわち余裕のなさの裏返しであって、
つまりいかに心根が優しかろうと意に沿わぬ結果になることは明々白々にして自明の理である。
 結論。
「…ごめんなさい、うちじゃあなたは飼えないの」
 その時、段ボールがガサリと動いた。
 ビビって逃げた。一目散だった。
カール・ルイスが見たら一発スカウト間違いなしのクイック&ローでやよいはその場から反転して急加速、
大して距離もない対岸の電柱に隠れてガサゴソ動く段ボールを驚き半分恐怖半分で見るやよいの今の表情はゲリラの気配を感じ取ったSATといい勝負である。
 SATの表情を浮かべたやよいの視線にさらされた段ボールはそれから15秒ほどがったんがったんと揺れ、
気の遠くなるような15秒の末にひゃん、と世にも情けない声をあげて動きを止めた。
 それから30秒ほどの間をおいて、やよいは恐る恐る段ボールに近づいた。
 段ボールはぴくりともしない。
 持っていた傘の先で恐る恐る段ボールをつついてみる。
 段ボールはぴくりともしない。
 たぶん犬だ、と思う。あの声はまさか猫ではないだろう。
猫はにゃーと鳴くのが相場であるからしてひゃんとは鳴かない。多分。

 ここでやよいが段ボールを開ける気になったのは、
やよいを驚かせた段ボールの中身が気になったからだった。
 その中には自分を驚かせた野郎の面を眺めてやろうという反骨精神のような感情もあったのだろうし、
あの15秒以降一切動こうともしない段ボールの中身の生死をその目で確認しなければ寝覚めが悪いというあっぱれな感情もあるにはあったのかもしれない。

 そして、やよいは「拾ってください」を開けた。

 粗末にもほどがあるくしゃくしゃの新聞紙にくるまれたそいつは、小さい茶色の丸だった。
 このあたりで、前述のやよいの感情は吹っ飛んだ。
脳裏に浮かぶのは
「すべてのいきものはおとうさんとおかあさんのあいじょうをいっしんにうけてこのせかいにうまれてきたのです」というNHK的なアナウンスであり、
やよいはその茶色い丸に手を伸ばしてみる。

 持ち上げたそれは、見事な子犬であった。
丸まった尻尾も全身を覆う茶色の毛並みもだらしなくへたれた耳も、
黒い鼻も力なく閉じられた口も閉じられた目も、
そのすべてが我は子犬なりと公言して憚らない堂々たる犬っぷりである。
 かわいい。素直にそう思った。
 思った瞬間、あることに気がついた。
 さっきはあれほどがったんがったんと段ボールの家を揺らしていたのに、
この子犬は目を開けていない。それどころか息も細いし妙に熱い。
 確か犬は舌を出すことで体温調節をするはずではなかったか。

 まさか。

「…ねえ」
 意を決して子犬の背中をさすってみる。子犬は微動だにしない。
 まさか。
 雨に打たれ傘に差された段ボールを見る。
 やよいによって屋根を外された段ボールの家は水気を吸ってぐしゃぐしゃで、
突かれた際にできたであろう穴からは水がしみ出ている。
 よく考えてみる、今日の昼間まで降り注いでいた雨は確か昨日の夜から降り出していたはずで、
ということはこの段ボールは少なくともその前から置かれていたはずであり、
ということはこの子犬は段ボールの中で冷たい雨水に一晩晒されていたということであり、
 そこまで思考が至った瞬間、手の中の子犬が小さくひゃんと鳴いた。

 世の中は余裕のある奴が回している。それは間違いない。
 では、世の中とは余裕が全てか。
 
 少なくとも、この時のやよいの脳裏にその類の禅問答をする余裕はなかった。
 やよいは茶色い毛玉を小脇に抱え、頭の中を真っ白にして段ボールに背を向ける。
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2009.06.22 Mon l がんばれ超がんばれ雪歩 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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